都立大附属高校を離れる最後の一年間だけの短期間でしたので、顧問といっても大したことはできませんした。
ただ、今でははっきり憶えているのは、当初二年生の女子六・七人しかいなかった部員全員が、大変意欲的なメンバーであったことです。
高校自体、閉校への道を歩みつつある時、都大附最後の一年生に積極的な呼びかけ運動をして、少数ながら新入部員を確実にものにした…という実績はみごとでした。
また、当初、実技指導の先生が事実上存在せず、自主運営に終始していたのですが、ご承知のように、指導者の手が入らない部は、実技を一番とする筝曲等では、技術の向上も音楽性も育っていきません。
ある日、部員を集めて、そういう実態を話し、筝曲部の今後の行方、対外発表会などへの参加対策についても、真剣に考えるように促しました。当時の部長は、筝曲に大変熱心で、リーダーシップを発揮していましたが、懸案の指導者については、間もなく、彼女とも師弟関係にある、大変有能な先生を紹介してくれました。早速、連絡を取り、事情をお話しすると指導者の件、快く引き受けてくださいました。ほっとしました。
顧問ではどうにもならなかった問題ですが、前向きな部長と部員ぞろいだったので実現したことです。先生が稽古を付けてくださると、ますます練習に弾みがつき、時間が活動の曜日もぐんと増えました。
文化祭での「合奏」や「ソロ」演奏も好評で、後に続く中等教育学校の生徒や保護者の皆様も静かに見守ってくださいました。年明け一月の、都内高校筝曲部発表会出場前後の手続きは、私には初めての事で、まごまごしましたが、新指導者のもと、生徒は冷静に乗り切ってくれました。
以上、場内係員的な仕事しかできませんでしたが、意欲満々な部員・気配りのできる部長・熱心な指導者が揃ったお陰で、運営許された部であったと思います。私こそ、短時間ですが、それまでに体験したことのない様々なことを学ばせていただき。本当にありがとうございました。