「社会に於ける新聞の占める価値はその所属団体の公器であるからあまり軽々しく論じられるものではない。
<中略> だが私は初めにこの「都高時報」の第一号に於いてその意義を明らかにせねばならないのではないかと思う。
「あくまでも公正であれ」「あくまでも正しい事実を」「いつも変らぬ厳しい主義」と以上の三つに制約されるに違いない。
そこで私達はこの主義に基づいて処女刊行するものであってから学園内の自治えの啓発と小範囲に止まらぬ「世界平和の愛好」と云う二大主義によって編集している。」
と、昭和26年7月11日、創刊の辞を高らかに唱えた都高時報は都立大附属高校生の愛読誌になりました。
岩田末廣氏(8期)をはじめたとした方々のご尽力により、1951年から1960年の都高時報をホームページ上で公開できるようになりました。
戦後、日本の復興から高度成長期に向かう時代、都高生たちの息吹を感じると同時に貴重な歴史資料です。
なお、都高時報をホームページ上で公開するに当たって経緯は、岩田氏からメモに記載されていました。下記に掲載します。
由来: 2016/10/16 「斉会で再開」を機会に、4期高野(細野)祐子さんが、同期生から初刊号から22号にいたる都高時報を受取り、コピーし、岩田(8期)に送られて来た。
22号以降は、7期・8期の小澤夫妻から須田大春(8期)に原本が渡された。
それらを、斉藤驍(8期)事務所のコピー機でpdf化された。
この作業は、須田、斉藤の友人、風間章一氏が行った。
PDFの欄のファイル名をクリックすると、新しいタブにPDFが表示されます。
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号 | 発 行 | 主要記事 | |
---|---|---|---|
1号 | 1951/7/18 | 都時01 | 「創刊の辞」(川上祥一郎)、「苦しい自治の歩み」(自治委員長 山田浩)、「主張 何よりもまず平和」 |
2号 | 欠 号 | ||
3号 | 1951/11/1 | 都時03 | 「我等の篝火を我等の手で」、「主張 歴史的記念祭を汚すな」、「世界平和と日本再軍備」(KN記)、「演劇について」(小中陽太郎) |
4号 | 1951/11/22 | 都時04 | 「惜しむべき川上君の惨事」、「主張 川上君に答へる道」 |
5号 | 1951/12/17 | 都時05 | 「1951年の回顧」(小笠原録雄校長)、「主張 自治の危機を救え」 |
6号 | 1952/1/18 | 都時06 | 「進的検査の結果発表」、「小場瀬卓三氏講演会とレコードコンサート開催」 |
7号 | 1952/2/18 | 都時07 | 「団結により平和を?待望の平和講演会開かる(柳田謙一郎氏講演)」、「平和委員会作れと級会」 |
8号 | 1952/4/16 | 都時08 | 「平和擁護委員会発足」、「西部地区高校連絡会議結成」、「謝恩会に芸人、卒業生憤激」 |
9号 | 欠 号 | ||
10号 | 1952/6/18 | 都時10 | 「破防法反対を決議」、「主張 破防法を粉砕せよ」、「破防法と徴兵、『大人』の責任と高校生諸君」(小田切秀雄) |
号外 | 1952/7/19 | 都時・号外A | 「もう黙ってはいられない」、「『都高時報』印刷拒否さる」 |
11号 | 1952/7/19 | 都時11 | 「全学連全国大会に出席して」(自治委員長長島保)、「『学問は人類のため』盛況だった石母田氏講演会」 |
12号 | 1952/9/22 | 都時12 | 「自治委員長は決定せず」、「綺麗になったが。部室閉鎖に抗議高まる」 |
13号 | 1952/10/31 | 都時13 | 「部室問題に一応のけり」、「ファイヤーについて」(喜多迅鷹教諭)、「川上君を偲ぶ」(3年 巨海武) |
14号 | 1952/11/29 | 都時14 | 「意義あった生徒大会??解決つかない歌の問題」、「明るい学園生活のために?連合文化祭開催」、「祖国と目的意識」(大石修平教諭)、「中国展から」(2C陣桃根) |
15号 | 1952/12/19 | 都時15 | 「西部高協具体化す」、「高校生の自主的活動に二つの弾圧」 |
16号 | 1953/1/26 | 都時16 | 「進適全国2位か」、[特集 受験と自治活動]「自己を閉じこもりから解放する努力」(大石修平教諭) |
17号 | 1953/2/28 | 都時17 | 「生徒大会流会す」、「主張 自治活動を建てなおそう」、「生徒会代表者会議、日比谷校で開かる」、「学校職員法について」(宮下博善教諭) |
18号 | 1953/4/5 | 都時18 | 「西部高協 去月24日に結成」、「村八分事件の石川さんを囲む会開かる」、「新学年を迎えて」(小笠原録雄校長)、「本校の歩み」 |
19号 | 1953/5/14 | 都時19・ガリ | 「15日に生徒大会」「飲酒事件」、「一年 男女別授業問題化、理数体図を男女別に授業」 |
19号 | 1953/6/8 | 都時19・活版 | 「飲酒事件の教訓」(投書)、 「男女別授業をめぐって」 |
号外 | 1953/6/8 | 都時・号外B | [高校生の活動に強まる弾圧]「新聞発禁さる(西高)」「爆発する不満 洗足学園」「劇の上演禁止さる 荻窪高校」 |
20号 | 1953/7/13 | 都時20 | 「クラス編成問題で論議高潮す」「主張 頻発する高校弾圧の問題に関連して」「生活調査集計」 |
21号 | 欠 号 | ||
22号 | 1953/10/28 | 都時22 | 「主張 新しい記念祭を創造しよう」「東京都社研連生る。基地調査の成果から」「ファイアーの時の歌、私はこう考える」「記念祭について」(小野牧夫教諭)、「記念祭の歴史」 |
23号 | 1953/12/8 | 都時23 | 「主張 再軍備徴兵計画に反対しよう」、「学園復興会議 高校問題分科会」、「東京都高校連合文化祭、本校で」、「バクロされた二つの『残りかす』」(大石修平教諭) |
24号 | 19541/30 | 都時24 | 「自治委、部室整備に本腰」、「本校全国2位、進適。今年から廃止」 |
25号 | 1954/4/7 | 都時25 | 「昭和30年度から大学別試験科目」 |
26号 | 1954/5/25 | 都時26 | 「主張 ”授業を着実に受けよう”そこから問題解決の態度が」「原子力について正しい知識を。講演会を持とう」「日本学生平和会議開催さる」 |
27号 | 1954/7/3 | 都時27 | 「主張 原水爆禁止署名運動を更に続けよう」「特集 原子力問題とわれわれ」 |
28号 | 1954/7/20 | 都時28 | 「菅井準一氏講演会 絶望することだけは止めて下さい」「『授業問題』更に話し合う機会を。生徒大会」、「三者懇談会」 |
29号 | 1954/10/11 | 都時29 | 「主張 第六回記念祭を迎えて」、「碑文谷署事件、自治会新聞部で抗議」、「久保山さんを悼む」 |
30号 | 1954/11/22 | 都時30 | 「自由と平和のために。 第六回記念祭を終わって」、「”都立高校のうぬぼれを捨てろ”」(宮下博善教諭)、「まだ残るいやなくせ」(大石修平教諭)、「国慶節と学生達。 新中国見聞記」(小澤正元 父兄) |
31号 | 1955/1/24 | 都時31 | 「主張 高校教育課程改定に反対する」、」「西校処分、三人は解除」、「手紙で結ぶ友情(中国との文通)、「都高時報世論調査、政治への批判」、「炭鉱地帯の窮状」 |
32号 | 欠 号 | ||
33号 | 1955/4/22 | 都時33 | 「全国高校生会議開かる」「新学年に際して」(小笠原録雄校長)、「新担任際して」(小野、片山、斉教諭) |
34号 | 1955/5/24 | 都時34 | 「主張 ウイーンアピールを支持し話し合いと行動を更に発展させよう」、「生徒大会 話し合いで解決を」、「都高校生会議」、「自由の校風を整頓せよ」(大石修平教諭) |
35号 | 1955/6/15 | 都時35 | 「主張 都高校生会議に参加しよう」、「高校生は手をつなごう 高校生会議」、「中国、朝鮮、日本 国際親善試合成功す」 |
36号 | 1955/7/23 | 都時36 | 「八・六原水爆禁止世界大会 代表に岡田君(目黒区の代表にも)臨時生徒大会」、「歴史を創る母親達、日本母親大会に出席して」(斉正子教諭)、「第一回都高校生会議開かる」 |
37号 | 1955/10/20 | 都時37 | 「低調の中で迎えた記念祭」「演説廃止・歌中心、全体で楽しめるファイアー」 |
38号 | 1955/11/25 | 都時38 | 「生徒大会、記念祭の反省。問題残す三B不参加」、「主張 受験と僕達の生活について」、「教科書問題におもう。本当の中立を」(斉正子教諭)、「確立された記念祭の秩序」(片山徹教諭)、「集団の中での自己の解放を」(喜多迅鷹教諭) |
39号 | 1956/1/24 | 都時39 | 進教育課程実施決まる」、「事物に連続性を。上原専禄氏講演会開く」、「世論調査。都高生の政治意見」 |
40号 | 1956/3/5 | 都時40 | 「授業料値上げ案通る(都教育委員会)」、「都議会へ陳情。自治委員会」、『卒業特集』「担任という名の商売」(松俊夫3A担任)「うっかりの弁」(綱島窈) |
41号 | 1956/4/11 | 都時41 | 「数I 人文、一年で必修。本校の進教育課程」「『高級』自動車共同購入」「学問の本質をつかもう」(斉藤驍) |
42号 | 1956/6/10 | 都時42 | 「小笠原校長逝く。学校葬盛大に行われる」、「特集 小笠原校長を悼む」、「新教育委員会法成立」、「教育三法反対を決議。臨時生徒大会」、「政治問題を取上げるべきか」 |
43号 | 1956/7/19 | 都時43 | 「生徒大会二回流会す」「『新入生の感想』気力ない生徒大会と政治運動にびっくり。自由とまとまりと居心地の良い学校」 |
44号 | 1956/9/1 | 都時44 | 「学校長に白旗信教授きまる」、「注目される新教育委員の任命」、「平和友好祭、来年モスクワで」「”皆とよく話し合って”新校長記者と語る」 |
45号 | 1956/10/17 | 都時45 | 「十月十三日 砂川ルポルタージュ」(吉田夏生)、「砂川の戦いは法廷へ、日本の新の独立を目指して」(W)、『特集 高校生の課題、「高校生活のこと」(大石修平教諭)「決戦化の高校生活」(長坂聡(19年文乙卒教育大講師)「高校に青春はあるのか」(山下肇15年文乙卒東大助教授) |
46号 | 1956/12/1 | 都時46 | 「盛大に東京都高校蓮合文化祭開く」、「立ち上がる全国学生、運賃値上げに反対して」、「他校の新聞から。高校生の共学をめぐって」 |
47号 | 1957/2/7 | 都時47 | 「都高懇議決機関へ」、「解説 ハンガリーとスエズ、一九五七年の展望」(W),「高校の数学について」(遠山啓東工大教授)、「いがみ合う両ドイツの間に、井上正蔵先生講演会」、「都高時報 第六回世論調査」、「世論調査について?数の意味?」(喜多迅鷹教諭) |
48号 | 欠 号 | ||
49号 | 欠 号 | ||
50号 | 1957/11/12 | 都時50 | 「主張 遺産相続」、「記念祭という名のおまつり」、「私の高校時代」(柴田孝夫教諭) |
51号 | 1957/12/9 | 都時51 | 「文教政策をめぐって。私達に平和への道徳を。道徳教育」、「束縛される教師。反対の声高き勤務評定」 |
52号 | 1958/5/1 | 都時52 | 「主張 自治会の進む道は?」「勤務評定についてホームルームで討論しよう」『特集 学生運動について』「不信に抗する」(大石修平教諭)、「懇談会 都立の自由と自治」 |
53号 | 1958/7/9 | 都時53 | 「原高蓮加盟、態度保留のまま。生徒大会」、「世界大会を成功へ。生か死か!一刻を争う実験禁止」、「原高連の歩み」,「水もしたたる話」(綱島窈教諭) |
54号 | 欠 号 | ||
55号 | 1958/10/24 | 都時55 | 「活発な高校生の動き。勤評闘争の諸問題」、「立ち上がる高校生への弾圧」、「警職法の裏」「父兄投稿 勤評に対する高校生の行動に思う」 |
56号 | 1959/5/6 | 都時56 | 「主張 新しい出発に際して」、「専門の白痴」(柴田孝夫教諭)、「いつか晴れる日が。松川事件被告団 菊池武氏寄稿」 |
57号 | 欠 号 | ||
58号 | 1959/11/19 | 都時58 | 「校長のバトン渡さる。 白旗前校長?>穂刈新校長」、「座談会 校長を囲む」、「駄文と書名」(白旗信前校長)、「安保。雪解けに逆行。帝国主義化の怖れ」、「安保研究会発足す」 |
59号 | 1960/2/8 | 都時59 | 「学級増に決定。授業は75分に」、「生徒大会開かる。部室・学級増・安保」、「特集 不況炭鉱の実態」、「『校長を帰せ!』勤評で闘う高知高校生」,「安保。黙ってばかりはいられない」(安保研究会) |