オタクという言葉は漫画の世界から始まったように思う。
アマチュア漫画家の間では相手のことをお宅と呼びがその言葉を使う集団をオタク族と呼ぶようになった。
オタクの意味は広辞苑では「特定の分野、物事にしか関心がなく、その事には異常なほど詳しいが、社会的な常識には欠ける人」となっており良い意味には使われていない。
しかし、それは社会的に有用な人材かどうかという視点からであり、個人の内面からの見方ではない。
確かにオタク族はマスゲームなどには否定的な感覚を持っている。
運動系クラブの画一的な練習に価値を見出していない。
それが誤解を生んでいる。
だがそれは決して能動的な否定ではなく受動的な否定である。
チャップリンはモダンタイムズの中で主張したことを現代版オタク族は主張しているのである。
漫画は部活動の時間に描くのではない。夜一一時を過ぎてから家族も寝静まった後で誰にも邪魔されない一人の時間の中で雄大な精神の空想を繰り広げ、それをかたちにして行くのである。
その光景は運動部のように外から見えるものではない。拍手喝采を浴びるものでもない。
出来上がった作品を持ち寄って一つの冊子にする時に共同の作業があるだけである。
オタク族の精神は決して従属的ではなく自発的で能動的である。
そのエネルギーは運動部のように肉体的エネルギーではなく精神的エネルギーである。
その精神的エネルギーの存在を理解するにはわれわれもオタク族になるかも知れない。