女子バレー部

10期 野口治代(旧姓 荒井)    

 あなたは覚えているだろうか。階段を降りたそこは、小さな噴水のある庭園で、その奥にあったコートを。やがてコートはテニス部に属したがその前にはバレー部が練習をしたものだった。九人制といえば今はママさんバレー位にしか残っていないが当時は九人制である。 体育館の上の部室には壁いっぱいに落書きがあり、インスピでちょいちょい書き加えたものだった。 部室は我々にとってまさに天国でよくそこへ逃げていったものだ。

 合宿は春は沼津。夏は軽井沢であった。沼津で酋長もマッツアオな位真黒に焼け(春焼けるとなかなかとれない)電車に乗るといっせいに見られたっけ。 軽井沢は自炊で一年は玉拾い皿洗い専門。あの井戸水は冷たかった。

 かくてO・B、O・Gにしごかれるだけしごかれ春秋のリーグ戦にのぞむのであったが、結果や無残女子は出ると負けの成績であった。 それは決して運神の発達した方でない私と、これ又特に発達しているといえない相棒(特に名を秘す)の為だったのかなあなんて考えたりして今とっても済まない気になったりする。 それにしても根気よく指導してくださったO・B、O・Gの方々に頭が下がる。O・B、O・Gには自分たちの問題も相談したものだった。 生意気な学生を相手によく相談にのってくれたものだと今考えれば汗が出るが当時は何しろ真剣である。 恐れを知らないひたむきさも青春の特権であろう。何も考えずに白球を追っていた時は幸せであった。色々悩み苦しみ傷つき(?)もした高校時代、誰もが通過しなければならない悩み多き時代にバレーというスポーツをやれ、バレーを通して都立の最も良いところの縦の線、O・B、O・G達に出会えた事は私にとって本当に幸せであった。

 今やあまりにもしがらみの多すぎる身になっているが、そのよき時代にしばらく思いをはせ、なつかしさと感謝の気持ちでいっぱいである。

(同窓会報 1976年12月号からの転載)   

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