私が女子、続いて男子テニス部顧問として関わった平成一五(二〇〇三年)〜平成二一(二〇〇九年)年度の活動を紹介いたします。
第五二期生(二〇〇三年度卒)のF君は卒業後もコーチとして男女の後輩を指導してくれました。
平成一五(二〇〇三)年の夏休みからは校舎改築に伴う工事でテニスコートが使えなくなり、一年以上駒沢オリンピック公園のテニスコートまで行って練習しました。
一一月くらいになうと、駒沢のコートまで行ったらすぐに暗くなってしまうという悪条件の中でしっかりと練習を続けました。
その後、現校舎の横のハードコート一面が使えるようになるとともに大会での実績も上がっていきました。
第五五期生のA君は五六期のS君と組んだダブルスで目黒区大会を制しました。
S君は翌年、同期のA君とのペアで目黒区大会三連覇を達成しました。
S君・A君達を中心とした年は団体戦でシード校の成蹊高校と当たるまで勝ち進み、S君自身のシングルスは都大会本戦で一勝し、シードの堀越高校の選手に惜しくも敗れました。
しかし、後輩たちは良い刺激を受けました。
A君は卒業後も家が近いということでよく学校に来てくれ、男女の後輩を指導してくれました。
第五七期生のI君を部長とした代は、入学時にはオムニコート三面が完成していることを知り、同じ中学校から三人も入ってくるなど活気もあり、第五八期のI君を部長とする代とともに後輩を良く指導した代でした。
五七期のI君と石垣君のペアは目黒区大会で大活躍しました。
都大附最後の代となった五九期生は、男女とも団体戦に参加できるぎりぎりの四人でした。
彼らが一年次の夏合宿で「君達が一人も退部せずに続けてくれれば、最後の年まで都大附は桜修館と合同ではなく、単独で出場できる」と話したところ全員が最後までテニス部を続けてくれたことはとてもうれしかったです。
また、男子の最後の代は都大附最後(桜修館は最初)の夏合宿で、無理かなと思われた山中湖一周全員完走を成し遂げてくれ、感動したものでした。
男女とも仲の良いとてもすばらしいクラブでした。