先生方は委員の身を心配した。退学は嫌だが、今更あとに引けない。そんなとき、あくまで合同文化祭に反対する生徒も居て、遂に記念祭の真最中に生徒総会を開いた。
観客は「つまらん真似はよせ」とわめく。あとに出し物を控えている主催者は、「時間がない、強引だ、陰謀だ」と怒った。
「新しい文化と、自由と平和を守るためには、五人やそこらの首切りは問題ではない」
「五人が学内から去れば、学内の自治は揺らぎ、個人の不幸にもなる。決行してみたところで大きな文化を動かすことにはならない」
この二種類の意見が出て会場は混乱した。
結局、採決の結果、一〇一対三九で合同文化祭は中止と決まった。正直なところ私はほっとした。退学させられるのは嫌だった。
今になってみれば、決行したところで退学にはならなかったかも知れないと思う。しかしなぜ合同文化祭ぐらいやらせてくれなかったのだろううか。今でも学生がやりたいことぐらいやらせておけばいいではないかと思っている。
この年の記念祭では、はじめて他の女子高の生徒と合同劇をやった。個人的な交渉ではなく、対学校という線で交渉した。
まだまだ男女間の交渉は自由でなく、交渉した第三、第六高女は遂に許可が得られず、桜町高女と合同劇を行った。これも当時としては劃期的なことだった。
学内は自由で、先生方と酒を呑み煙草をすって大いに人生を語ったものだ。
教師対自治委員会の野球の試合もあった。私はサードで三番。ホームラン一本、三塁打一本など四打数三安打を打ち十九対六で勝った。若かったなあと思う。
亡くなられた小笠原校長が、「都立には伝統がない。伝統ないところが伝統だ」と言っておられた。
昨年、同窓会を再建してみて、伝統がない団体の弱さをつくづく感じた。世代の違う同級生が集まるよりどころが何もないのだ。
何かよい伝統というものが自然に出てくるとよいと思っている。