初めて勤めた学校で、七年間の在任中には人間として教師として多くのことを学ばせていただきました。
とりわけ徹夜の職員会議は今でも強い印象として残り、ひとつの原点として私の姿勢をつくっています。
その都高を離れてもう五年。
「前の都高ではこうだったのに」というよりも、うちの学校ではこうしてきたんだという発想が身につくほど、現在の学校に親しんでしまいました。
都高での思い出といわれると、何を思い出してよいのか、むずかしいことです。
毎日が手探りで、かつ自分をもてあましている私にとって、過去をどうとらえるか、そのすべもないなどと思ってしまいます。
たしかなことは、私は今よりさらに未熟であったということです。
思いおこせば赤面することが多く、もっと練れた気持ちで生徒諸君に応じればとの悔いがわきおこってきます。
現任校では、教師としての指導力を要求している生徒が多いように思われます。
そういうなかで生徒に立ち向かうことは、それなりに厳しいことです。
ひるがえって考えてみれば、都高の生徒諸君はよく、私のような未熟な者を受け容れてくれたのではないか。
あらためて感謝しなければと思います。
半年ほど前に、かつて担任したクラスのクラス会がありました。
ほとんど社会人となり、大きく成長した彼らのなかに、明るさや伸びやかさ人当りのよさなど、都高生独特の雰囲気にふれることができました。
ああ都高なんだなと卒業生と会うごとにノスタルジックな気分になります。
卒業生に会うことが都高とのつながりです。
都高在任中にも卒業生としばしば飲みました。
授業中でも、今日は卒業生との約束があることを思えばエネルギーがわきました。
次の日には二日酔いで、昨日は卒業生と飲んだからと弁解しつつ、おもしろいとは思ってもらえない授業するときに、ひそかな快感さえ覚えていたのではなかったか。
今にして思えば、連綿として続く都高の伝統というひとつの幻想に半ば身をゆだね、その浮力によって自らの責任を軽んずることは、一種心くすぐられることなのではないでしょうか。
つづっていくうちに、生協の食堂の昼飯のにおいとか、晩秋の今頃のイチョウ並木とかが思いおこされてきます。
少しは成長した教師として、昔の都高に舞い戻り、あの頃の若い生徒諸君との日々をすごしたくもなってきます。
ひょっとして私にとってもひとつの青春だったのではないか。
香り高き若人の青春の場として都高をイメージしたいと思います。
きれぎれに、ひとつひとつのシーンが浮かんできます。
砂ぼこりの暑いグランドで汗にまみれたり、にぎやかで活発だった連絡協議会にびっくりしたり、ファイヤーの残り火を砂と水で消したりとか。あの顔、この顔、あんな顔、こんな顔。続きはまた誰かと飲んだときにします。