森脇初代校長の下ではじめて職員会議が開かれ、学則などがつくられていった。教育方針は旧制のまま引きつがれ「自治と自由」、「真理の探究」「人間形成」など現在のままである。校旗も大学ではなく高校に受け継がれ、旧制高校の精神は新制高校へ移されたといっても過言ではない。
尋常科からずっとこのキャンパスにいた高校生と、はじめて入って来た大学生とはしっくりいかず「都立高校附属大学」などという言葉を、高校生がよく口にしていた。翌々年、一期生、二期生につづいてはじめて新制中学から非常に優秀な一年生が入って来て三年生が完成し、教師数も18名となった。一学年三学級の小規模学校であった。
最大のニュースは二期生に女子生徒19名が入学を許可されて、男女共学がはじまったことである。旧制高校時代は小使いさんまで男子であり、正規女子教員は外国人を除いて全国でも私がはじめての採用だった位だから、明治の教育制度発足依頼の大変革という気がした。男子ばかりの三年生は、羨ましがってよく女子のいる教室を覗きにいったりした。