Homeコラム創立25周年記念誌「附属」誕生(1)

「附属」誕生

森脇 大五郎(注)    

 戦後の学生改革でそのまでの六(小)五(中)三(高)三(大)を主軸とした制度が六・三・三・四にかわった。これで旧制の中学の多くは主体を新制高校に移したが、中には一部を新設の中学に吸収されるものもあった。 これに比べてもっとも大きな変革をせまられたのは中学と大学にはさまれた旧制高等学校級のものだっただろう。当時高等学校は国公私立あわせて三十余校にのぼっていたが、これらは七帝国大学につながるという特殊な性格をもち、自由と自治を標榜した独特な存在だった。 一説にはこの特殊性を打破することが改革の主なねらいだったともいわれた。ともあれ、あるものは旧帝大の改革の中に組み込まれて主としてその教養部になった。その他、文理学部として地方の新制大学の中核になったものもあり、また他の高専などと一緒になって総合大学に転じていったものもある。

 わが都立高等学校は七年制、すなわち中学五年を四年の尋常科にかえ、それに高等科三年を加えて一貫性をもちあわせたものであった。いわば旧制中学と高校をあわせもつ形でもあるので転換も簡単ではなかった。東京都には前々から一つの都立大学を設けようという声があったが、これを契機として都立六高専(高等学校、工業専門、化工専、機械工専、理高専、女子理専)が連合して都立大学を創設することが急速に具体化していった。 都立大学は先ず人文、理、工の三学部編成で出発し、都立高校の高等科は主としてその人文、理の組織に入ることになり、戦災をまぬがれた校舎が本部と人文、理にあてられた。

 注:東京都立大学附属高等学校初代校長。後に東京都立大学学長、日本遺伝学研究所所長、理化学研究所所長など要職を歴任された。2000年没。

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