こんな手狭でかつ設備、備品、図書など共用でいろいろな不便へ摩擦、なんとなくぎくしゃくした空気もあったが、やがて二十五年暮には附属の木造校舎が現在の位置に建てられ、やっと落ち着いた雰囲気が打ち立てられた行った。
他の都立高校が旧制中学校から発足したのに対してわが附属高校はけ旧制高校を母体として、その自由、自主の伝統を受けついで発足したものであった。
形の上では都立大学の分家のようであったが、創立同時の生徒諸君はむしろ附属高校を本家(実際旧制高校の校旗、校歌などはそのまま附属に引き継がれた)と思うぐらいの気兼ねをもっていろいろの活動を積極、活発に展開、附属高校創立時代の伝統を打ち立て、むしろ大学を凌ぐ感があったように思う。
大学を都立大学附属高校などと呼んでいるものもあったと記憶している。
創立四半世紀、その間制度的にも、また環境や雰囲気にもいろいろ変遷はあったが、あのうす暗い中にも、なんとなく落ち着きを感じさせた木造校舎もいかめしい鉄筋校舎に姿を変えたいま、その校舎に包含される内容はどう変化しているだろうか。
昔からの附属高校の象徴のような欅の大木はどうやら生命を残したが、中にはさまれてちぢこまったように生気を失いつつある。この大木がえいえいと積み重ねた根の営みによって生気を取り戻し何時まで繁るか。
年々歳々樹は変わらないが、歳々年々人も社会も変わる。
人間には進歩という変化がるために人間である。
後輩生徒諸君が、この欅を眺めて昔を偲ぶことが出来るとともに、附属がこの木と同じように生々発展して次の四半世紀の前進の歴史を綴ることを祈念致します。