Homeコラム都高六十年記念誌思い出あれこれ(2)

附属高校を思う 工藤 好吉

 附属高校は今年で四十周年、旧制府立高校創立からは六十周年を迎えることになる。 現在の開校記念日である一月三〇日は旧制府立高校が創立された日であるので、旧制より数えた方が妥当なのだろうか。

 都立大学移転で、附属高校の存続が危ぶまれ、新制の同窓会は勿論、旧制からも学校よりの諸々の文書と共に、要望書が提出された現実を考えると、この六十周年は意義ある記念すべき年となるかもしれない。 つまり今年度は附属高校のあり方、大学移転後の附属高校のより広い敷地の決定される年に来ているからである。 この意義ある年を迎えられずに退職したのは心残りである。

 附属高校にお世話になった、三四年間にはいろいろなことが思い出される。 私が就任した時は九学級で、教師は一八名、殆どの生徒の名前は覚えられ、コミュニケイションが密であった。 旧制高校より伝統として受け継がれたものには校章、校歌、校旗と「自由と自治」の精神がある。 学校の行事としては、臨海、クラス・マッチ、記念祭があった。

 沼津寮での臨海行事は五〇名ずつ三泊四日四期にわけて実施していた。 この行事が残念なことに、牛臥海岸の水質が悪く遊泳禁止となり、また寮も荒廃して来たため中止となった。 しかし五七年度には当時の父母会により寮が再建されたので、近い将来、再会されるのではないだろうか。

 クラス・マッチ、記念祭は現在でも生徒の自治のもとで実施されている。 以前はクラス・マッチで縦、横の繋がり密になり、記念祭が終わると生徒の精神的な面が向上し、附属高校生としてのプライドが高まって来たものである。 現在では、内容こそ変革されて来ているが、先生方が「自由と自治」を育て、よき伝統を身につけさせようと、並々ならぬ努力をされている。

 忘れられない、いやな思いでは、一九六九年三月一五日卒業式粉砕にはじまった学園紛争である。 高校生が政治運動に関心を持つのはよいが、体制にすべて反対と言う姿勢で教師との話し合いがつかない寂しさがあった。 しかし教師として、いろいろ考えさせられたことが多かった。 この紛争で、定期テストが廃止され、卒業式がなくなって証書は各ホームルームで手渡しという結果となった。 これ等がいつまでも続くはずがなく、生徒の中からも定期テスト、けじめとしての卒業式を是非復活しようという声があがり、二七期の時に実施されるようになった。

 今では学園も落ち着き、過去が嘘のような気がする。 生徒一人ひとりが附属高校生としての誇りをもてるよう、大学移転を契機に、附属高校のより発展のために教師、生徒ともども頑張って欲しい。

 六十周年おめでとう。

(旧職員)
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